人財と組織の育成を支援する「合同会社5W1H」のニューズレター

「納得できるように、物事を主体的に変えていく力」を持った人・組織こそが、「意義深い人生を送る能力」を持った人(から成る組織)であり、「贅沢さとは異なる豊かさを享受し、QOL(人生の質)向上を実現する能力」を持った人・組織である

あなたの組織にとって、○○研修とは「何のための手段」か?(第124号)

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こんにちは、合同会社5W1Hの高野潤一郎です。

企業研修担当者とお話をさせていただくと、同じ「研修」という言葉を使っていても、互いに異なる内容・意味を持たせて話していることに氣づくことがあります。何かの集まりでも同じような状況に出会うことがありますし、他の講師の方からも同様の状況について聞くことがあります。そこで、今回は、そもそも「研修」って何だろう?という話から、今の私の考えをご紹介したいと思います。

企業研修担当者との話を終えて、改めて、「研修」って一般的には何を指すのだろう?という考えを整理するため、定義と語源について調べてみることにしました。
まずは定義についてです。辞書によって定義の仕方は異なるのですが、「研修」および関連語句の辞書的な定義は次のようなもののようです。

研修 「学問や技芸などを磨き修めること」
磨く 「努力して更に上達させる」
修める 「学問・技芸を身につける」
身につける 「自分のものにする」
身につく 「すっかり習得する」

次は、語源についてです。今回のニューズレターを書くために調べた範囲では、残念ながら、「研修」という言葉がどこから出てきたのか、正確な出処には辿り着けていません。(ご存知の方がいらっしゃれば、是非お教えください。)ちなみに、「教育公務員特例法」(昭和二十四年一月十二日法律第一号;最終改正:平成二四年八月二二日法律第六七号)の第四章には、「研修」という章があり、第四章の最初にある第二十一条には、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」という記述があります。すると、「研修」という言葉は、「『研究』と『修養』を組み合わせて出来た造語なのか?」とも想像してしまいます。

研究 「物事について深く調べ考えて明らかにすること」
修養 「自分の心を鍛えて、優れた人格を形成するように努めること」

さて、あなたはどのようなことをお考えになったでしょうか? 「研修」が指す内容について、まだ明確なことは言えないのかもしれませんが、それでも、「対象とする物事を身につけたり、今まで以上に上達させたりすること」や「対象とする物事に関して、さらっと表面的な知識を得て終わりにするのではなく、その物事を身につける過程で、自分の人格を磨くこと」に関わる言葉・概念らしいという推測はできるのではないでしょうか? 

つまり、本来の意味からすれば、対象とする物事について「わかる」レベルで終わるものは「研修」と呼べず、「できる」レベルに到達するまで行うのが「研修」であり、また恐らくは、その過程において何らかの「精神面における成長」が見込めるものが「研修」であると解釈するのが適切ではないでしょうか?

このように考えると、たとえそれが聴衆の心に訴えるような素晴らしい内容であったとしても「講演会」を実施するだけでは「研修」を実施したことにはなりませんし、「Eラーニング」などを通じて「知識の伝授」だけを行い、頭でっかちの人間を量産できても「研修」を実施したことにはならないということになります。

あなたが所属されている組織では、「研修」は実施されているのでしょうか? あるいは、少なくとも本来の意味での「研修」の実施に近づけるよう取り組んでいらっしゃるでしょうか?

「研修」とは何かを考える上で、もう1つの観点を加えておきましょう。 ニューズレター第104号では、次のような内容をお伝えしていました。

■臨界点(閾値)を超えるまで取り組むこと

(ニューズレター第102号は、「型」と「形」の話も書いていましたが…)ヒトの脳にある「型」を定着させようとすると、その信号処理のパターンを習慣化させることが必要となります。(この場合には、脳内の神経細胞の再組織化にはタンパク質の合成を支えるために必要な遺伝子の発現などを考慮すると、最低2週間くらいに渡って継続的な取り組みが必要となります。)このように、筋肉トレーニングでも記憶でも何でも、神経や筋肉細胞などが増えたり強化されたりするには、学習の臨界点(閾値)を超える必要がありますし、それに要する時間を無視することはできません。(…もちろん、自分の現在の能力や信念などを変えないまま、目先の短期的な行動だけを変えること・対症療法ならすぐにできるかもしれませんが、ここでは、中長期に渡る本質的な変化や成長を望む場合の話をしています。) (後略)

[ニューズレター第104号 より抜粋 ]

これをお読みになっておわかりになるように、もし、「できる」レベルに到達するまで行うのが「研修」だとすれば、それは「学習の臨界点(閾値)を超えるまでやる必要がある」ということになります。

先ほどと同じ問いかけを投げかけてみようと思います。

あなたが所属されている組織では、「研修」は実施されているのでしょうか? あるいは、少なくとも本来の意味での「研修」の実施に近づけるよう取り組んでいらっしゃるでしょうか?

もちろん、「2週間連続の学習の機会」を創り出すことは困難だと感じる方は多いと思います。 私は、必ず2週間連続の学習の機会を創り出さなくてはいけないというのではなく、「集中的な学習と間隔を置いた学習の組み合わせ」(学習内容の振り返りの頻度や期間の適切なデザイン、日常生活を学習内容の観点から振り返って新たな考え方や新たな行動に反映させる機会を持つ仕組み)などを工夫することにより、「学習の臨界点(閾値)を超えるまでやる」ことが「研修」として大切なのではないかと考えています。

そして、こういった考えを踏まえて提供させていただいているのが、

ということになります。

※「フォローアップ」学習というのは、半日~数日の集合研修で生じていた「抜け」や「漏れ」の補充をする機会などではなく、「メタ認知」や「フィードバック・ループ」といった観点から重要なのですが、長くなるので今回は省略いたします。

では、改めて考えてみてください。

研修プログラムについて、「研修提供会社に任せっ切り」にしたり、「目新しい研修メニューに飛びついてばかり」いたり、「最近のトレンドを追ってばかり」いたりはしませんか?自組織の現状を把握し、他の組織とは異なる独自の目的を明確にした上で、研修を実施されているでしょうか? あなたが所属されている組織にとって、○○研修とは「何のための手段」なのでしょうか?

さて今回は、そもそも「研修」って何だろう?という疑問をきっかけに、私の考えの一部を紹介してまいりました。 実は、「研修とは、自組織にとって何のための、どういった手段なのか?」という質問に真摯に答えようとすると、経営戦略や事業戦略などにも大きく関わってくる話になっていくことが多いと思うのですが、あなたが所属されている組織ではいかがでしょうか?(長くなりそうですので、この辺りの話は、また別の機会にでも、ご紹介できればと思います。) 

あなたは、どのような印象をお持ちになり、何を考えられたでしょうか? 何か少しでもお役に立てれば幸いです。

それでは、また次回のニューズレターでお会いしましょう♪

P.S.
今話題に取り上げられることの多い2つの書籍、「ワーク・シフト」と「ビジョナリー・カンパニー4」と絡めて、「現状やりくり」のための取り組みと、「方針転換」将来への投資」のための取り組みについての話を、Facebookページ と、Google+ページ に投稿していました。ご興味をお持ちの方は、そちらも是非ご覧になってみてください♪

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