人財と組織の育成を支援する「合同会社5W1H」のニューズレター

「納得できるように、物事を主体的に変えていく力」を持った人・組織こそが、「意義深い人生を送る能力」を持った人(から成る組織)であり、「贅沢さとは異なる豊かさを享受し、QOL(人生の質)向上を実現する能力」を持った人・組織である

米国国民総生産の3割? マクドナルドかリッツ・カールトン・ホテルか?(第123号)

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こんにちは、合同会社5W1Hの高野潤一郎です。

前回は、「教養醸成の会」(CGG)の第3回テキストとして用いた「ガリレオの指」の話を発端に、【 「効率至上主義」や「努力に逃げる」のは卒業しませんか? 】と題して、

  • 「事象」や「環境」との戦いを続けていませんか?
  •  問題発見における「観察力」と問題設定における「洞察力」
  • 「効率優先」と対立しつつ補完するのは「学習優先」?

といった内容をお届けしていました。引き続き、今回も上記テキストに書かれていた話から始めて、異なるアプローチをバランスさせる「デザイン思考」などについて少し紹介してみようと思います。

 

国民総生産の3割を生むものに関する知識は一般教養ではないか?

上記テキストには、「アメリカの国民総生産の30%が、量子力学を何らかの形で利用して生み出されている」といった内容も書かれていました。(原著は2003年の出版ですので、現在、同じような調査をすれば、比率がもっと高くなっているかもしれませんね。)

「教養」の定義にもよるのでしょうが、それにしても、国民総生産の3割を生み出すようなもの(ここでは、米国民にとっての量子力学)に関してある程度の理解をしていたり、義務教育課程までの生徒やシニアの方に「量子力学っていうのは、○○というものなんですよ。△△とかに使われているんです。」などと簡単な説明ができる程度の知識を持っていたりすることは、多くの社会人にとっての「教養」と見なしてもおかしくないように思うのですが、みなさんはどのようにお考えになるでしょうか?
…昔は、「教養」というと「古典」だったようですが、最近の「教養」には「科学リテラシー」(※1)が含まれるどころか、それが特に重要だとする人々も増えているようですね。→関連記事:「歴史」と「地理」って、こうやって見ると「つながる」んですね!

上記は、米国の例である上に、量子力学というちょっと聞き慣れない内容の話だったかもしれませんが、程度は違っても、世界的に見れば「科学・技術分野のリテラシーが一般教養とみなされる傾向」にあり、また、今後はこうした傾向が強まる見込みと思って間違いがないように私は思っています。(※2)

※1 科学リテラシー(scientific literacy)
一般に、社会生活を送るために必要な「読み書きの基本的能力」、あるいは、○○分野における「学習経験・教養があること」を「リテラシー」(literacy)と呼びます。米国国立教育統計センターの定義によれば、「科学リテラシー」(scientific literacy)とは、「個人としての意思決定、市民的・文化的な問題への参与、経済の生産性向上に必要な、科学的概念・手法に対する知識と理解」のことを指します。

※2 量子力学とかに詳しい方向けの補足
(読み飛ばしていただいて構いません)
先日、東北大学産業技術総合研究所の合同シンポジウムに参加したところ、「社会を支える頭脳」と言われることもある「論理集積回路」の市場規模は、約12兆円(内、日本は2兆円)と聞きました。 近年では、「スピントロニクス」の台頭が著しく、待機電力消費ゼロの「ノーマリー・オフ・コンピューティングなどへの期待も高まっているようです。

上記の考えの裏付けというわけでもありませんが、例えば、文部科学省科学技術政策研究所が2003年に発表した「我が国の科学雑誌に関する調査」には、「日米の人口当たりの発行部数を比較すると、『Scientific American』は、『日経サイエンス』(米国の科学雑誌Scientific Americanの日本版)に較べて10 倍以上発行部数がある」、「科学雑誌の発行部数の推移と科学技術への関心の推移については関連があると考えられる」といった内容の記述も見つけることができます。私が米国を訪れた際にも、スーパーなどで科学雑誌を見かけることがありましたし、一般の米国人が科学・技術に示す関心は、日本人よりも高いように感じています。(…科学・技術の詳細な内容に関して理解するかどうかという話とは別です。※1で書いていた「科学リテラシー」の定義には、「個人としての意思決定、市民的・文化的な問題への参与、経済の生産性向上に必要な~」という3点が盛り込まれていましたね。)

社会の多くの事柄が科学・技術によって支えられるようになってきている今、科学リテラシーが社会人の教養として求められるようになってきているのではないか?」という解釈について、あなたはどのようにお考えになるでしょうか。
…産業構造の変化や高齢社会に対応した「社会人の学び直し」に関するさまざまな動きも活発化しているようですね。

 

科学リテラシーの御利益

前号【 「効率至上主義」や「努力に逃げる」のは卒業しませんか? 】を読まれた方の中には、「高野は、効率を追求することが悪いことであると主張している」と解釈された方もいらっしゃったようなので、補足しておきます。 私は、「効率を重視することは大切だけれども、効率重視一辺倒ではいけない」ということをお伝えするために、「効率至上主義」という表現を用いておりました。 決して、「効率の追求」が無駄なことだと考えているのではなくて、それは、もう放っておいても多くの人々が取り組まれることなので、今後は別のことにも目を向けましょう!という考え方をお勧めしています。 ご理解いただけるようであれば幸いです。

せっかくなので、この点についていくつかの切り口に基づく話を通して、もう少し掘り下げてみましょう!

まず、前段で紹介した「科学リテラシー」の定義には、「個人としての意思決定、市民的・文化的な問題への参与、経済の生産性向上に必要な~」という3点が挙げられていました。 つまり、どの程度までの「科学的概念・手法に対する知識と理解」が求められるかというと、「自分(たち)の日常生活や将来に関わる事柄について、納得できる意思決定が行える程度」「問題解決に向けた地域の話し合いや投票などの市民的活動に参加できる程度」「新しいデバイスやソフトウェアの使い方を身につけるなど、仕事の生産性向上に向けて最低限必要な程度」ということになるのではないでしょうか。 このように、科学・技術について厳密な知識や理解が求められるのではなく、自分(たち)自身の日常生活や将来に関係のある行動を起こすのに必要なだけの知識や理解があれば充分なのだと考えれば、「私は数学が苦手だから」とか「私には関係のない話だから」などと言って、科学・技術の話題を敬遠せずに済むのではないでしょうか?

次は、「科学リテラシーを高めて、科学・技術に触れるようになっていくことで、どんな御利益が見込めそうか?」ということについて考えてみましょう。 前出テキストの著者は、現代科学を特徴づける傾向として「抽象化」を挙げ、その実用的な意義について次の3点を指摘していました。それは、「さまざまな知見から一歩離れ、それらを大局的に眺める手段となる」「現象間の意外な結びつきを明らかにする」「ある領域で生まれた考えを別の領域に応用できる」ことです。

…「抽象化」に関しては、第122号の図表1の注釈で、「科学の分野でも『単純化』『理想化』『概念化』『モデル化』『抽象化』などと称して、物事の『本質』を見極めようとする際に本質を覆い隠す阻害因子などを無視すること、つまり、目的に応じて『幹と枝葉』の内の枝葉に相当する部分を切り捨てて表現する場合があります。」といった文章を書いていました。

私は、科学・技術分野に直結した仕事に携わっている方々は別として、普通の人々について言えば、「知的好奇心が充足される」ことの他に「科学的思考に基づくアプローチに馴染み、それを日常生活における目的達成・問題解決・意思決定などに役立てることができる」ことを挙げたいと思います。

具体的な事例について興味をお持ちの方には、アマゾン・ドットコム、イーベイ、グーグルといったオンライン・サービスのみならず、PNCバンク、トロント・ドミニオンバンク・ファイナンシャル・グループ、ウェルズ・ファーゴなどといった金融業、シアーズ・ホールディングス、サブウェイといった小売業など、多くの企業が経験や直感だけに頼らず、(問題の本質を把握するために「理想化」「単純化」を行ったり、「分析」と「総合」を繰り返したり、「検証可能性」「普遍性」を求めたりする)「科学的アプローチ」を採用して成長してきたという事例などについてお調べになるのをお勧めしたいと思います。

 

多様化している顧客のニーズ/ウォンツに応えるには

業務プロセスの体系化・標準化・効率化を進めることで、最大公約数の市場ニーズに応える標準的な製品を大量生産したり効率や生産性を高めたりすることができるといった価値があることは確かですが、他方、多様化している顧客のニーズ/ウォンツに応えるには、個々人ならではの知識・経験・スキルなどを活かし、顧客満足度などを重視して柔軟性や創造性を発揮することを通して、独創的な製品・個性的な作品・個別のサービスなどを提供する方が、より高い付加価値を生む出すことができる場面もあるように思っています。

これは例えば、マニュアル化された治療法では対応できない合併症患者の手術とか、用いる素材が毎回均質というわけにはいかない楽器の製造とか、自分の身体の特徴や体調に合わせて調整するマッサージとか、その日の氣温や湿度に合わせて調味料の配合などを変える料理とか、その年のブドウの出来に応じてその持ち味の引き出し方を変えるワイン醸造とか…など、標準化されたプロセスよりも顧客価値(顧客側から見た、その商品やサービスに対する価値)を重視するアプローチが望まれる場面のことです。

「どちらか一方が正しくて、もう一方は間違っている」という前提に基づく「二者択一」思考に慣れていて、「え?じゃあ、結局どうすればいいんだ?」と混乱される方がいらっしゃるかもしれませんね(笑)。

ここまでのお膳立てを経た上で、「効率を重視することは大切だけれども、効率重視一辺倒ではいけない」の話に戻ろうと思います。

 

「分析思考」と「仮説思考」のバランス

ここでは、思考法を2つに分けて考えてみましょう。 一つは、過去のデータや明示的な論理・プロセスに基づく「分析思考」で、もう一つは、論証などを意識しないために分析思考ほどの明快さや確からしさはないけれど、直観的に、ある程度の整合性や再現性を持った進展をもたらしてくれるだろうとの期待が持てる「仮説思考」です。

「仮説」を立てるときには、「対象とするものの『本質』を見極めるために、本質を覆い隠す阻害因子などを無視し、ある特定の側面から対象を描写し直すこと」=「単純化」「理想化」「概念化」「モデル化」「抽象化」を行います。→「フレームワーク質問力®」全体像の図

事業の運営や管理などに向ける意識が高い場合には、分析思考に基づき、「確実性・信頼性」を追求しようとし、発明・発見やイノベーションなどに向ける意識が高い場合には、仮説思考に基づき、「妥当性・有効性」を探求しようとします。そして、こうした傾向に基づき、組織の構造や、仕事の手順や、組織の文化の違いが生じてきます。

「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチと、「妥当性・有効性」を探求する「仮説思考」に基づくアプローチの「どちらか一方だけを選ぶ必要がある。選んだら、ずっとそちらのやり方に固執しなければならない。」(1つ正解があれば、その他の選択肢はすべて間違いである。途中変更はありえない。)と考えて困っている人や組織が多いように私は思うのですが、あなた自身やあなたの周囲ではいかがでしょうか?
…前号でご紹介した「学習優先」も思い出してみてくださいね。

例えば、二重線内の事例を見てみてください。


  • 世界中のピアニストが愛用するスタイン・ウェイで知られるスタインウェイ・アンド・サンズは、調律師が自分なりの判断に従って作業を進めることで音質を高めることに努めてきたが、コンピューター制御の部品製造ツールの進化を受けて、「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチに舵を切ることにした。(まだまだ調律師の職人芸頼みの部分もあるけれど。)
  • ホテルやリゾートで有名なザ・リッツ・カールトンは、客室の清掃や館内のメンテナンスなどに関しては厳密な作業基準を適用する一方で、フロント係・コンシェルジュ・ウェイター・ウェイトレスには大きな裁量権を与えるといった形で、多様化する顧客の要望に応えるために、どちらかと言えば、「妥当性・有効性」を探求する「仮説思考」に基づくアプローチに軸足を置くことにした。
  • 予約の要らない医療施設を展開しているミニット・クリニックは、独自のソフトウェアを開発することで、咽頭炎・膀胱炎・結膜炎のように件数が多く標準化に適した病氣であれば看護婦や医療助手でも診断と治療が可能にし、個別対応が求められる病氣への対応と区別するといった形で、「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチと、「妥当性・有効性」を探求する「仮説思考」に基づくアプローチのバランスを実現した。

[ 出典:"When Should a Process Be Art, Not Science?", Joseph M. Hall and M. Eric Johnson, Harvard Business Review (March 2009, pp. 58-65) 内の事例を、高野が本稿に合わせた形に集約・改変して訳出 ]


こういった事例を踏まえて、ご自身の仕事などについて振り返ってみてください。どういった印象を持ち、どういったアイディアが生まれてくるでしょうか?

「妥当性・有効性」を探求する「仮説思考」に基づくアプローチだけでは、「ひらめき待ち」などといった状況になってしまい事業の存続が危ぶまれる可能性も出てくるため、基本的には、ほとんどの仕事で、「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチが可能な実力や仕組みが前提となっていないとマズイと、私は思っています。 しかし、もう「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチだけでは、市場の変化や競争についていけなくなってきているため、今まであまり目を向けていなかった「妥当性・有効性」を探求する「仮説思考」に基づくアプローチにも意識を向けてみましょうよ!ということで書いたのが、前号の「効率を重視することは大切だけれども、効率重視一辺倒ではいけない」の話だったというわけです。

こういった、異なる切り口の考え方の併存や、総合(統合)や、時間をおいての交代などについては、「コンフリクト・マネジメント入門 」セミナーでもお伝えしているので、興味をお持ちの方は、ご活用ください。(いきなり「コンフリクト・マネジメント入門」はハードルが高いかも?という方には、「二者択一」思考への対処なども扱っている「フレームワーク質問力®」(法人向け個人向け)をお勧めいたします。) 

また、9月7日(金)スタートの「変化促進研究会」テキストでは、「異なるアプローチをバランスさせるデザイン思考」を扱っており、初回で本稿の内容と関連の深い話を扱います。本稿で言うところの、「確実性・信頼性」を追求する「分析思考」に基づくアプローチについて、マクドナルドの例が紹介されており、初回は私が担当予定となっています。こちらも、ご興味をお持ちの方はご活用くださいませ。

 

科学的アプローチとコーチング

さて、前段では、「確実性・信頼性」の追求と「妥当性・有効性」探求のバランスをとろうとする姿勢(思考・行動のパターン)が大切だと考えている旨、ご紹介しました。プロセス重視のアプローチを志向するのが適切なときと、顧客価値重視のアプローチを志向するのが適切なときがあり、その両方を調和させて、動的に「マネジメント」することが大切なのではないかという主張です。

実はここで、「科学リテラシーの御利益」の箇所で書いていた「科学的思考に基づくアプローチに馴染み、それを日常生活における目的達成・問題解決・意思決定などに役立てることができる」という主張とつながります。(…科学・技術の分野では、新しい理論や技術の確立や製造プロセスの効率化などに向けて、「分析思考」と「仮説思考」の両方を駆使します。「科学的アプローチ」というのは、「分析思考」と「仮説思考」のバランスを取りながら進めるアプローチなのです。)

弊社ウェブサイトの「取り組み姿勢(業務遂行上心掛ける価値観)」でも、(2つの意味を込めた)「SCIENCE」という言葉を用いていましたが、やはり、変化の激しい時代・価値観が多様化している時代だからこそ、「こういう場面では、○○という言葉や質問を発しなさい」「コミュニケーションでは、相手をたった数種類のタイプに分けて、そのタイプに合わせた対応をしなさい」などという硬直化した知識伝授型の研修・自己開発ではなく、科学的アプローチを意識し、状況や相手(の状態)に応じて対応を変える能力を高めることを志向した研修・自己開発・相互啓発が求められるのではないかと、私は考えています。

前号では、「日常生活(仕事など)を通して、思考パターンを目的達成・問題解決などにとって望ましいものに変えるもの」=「弊社流のコーチング」だとも書いていました。ご自身の慣れ親しんだ思考パターンに氣づき、目的達成・問題解決などに役立つよう、必要に応じて、新しい思考やコミュニケーションのパターンを獲得していきたいとお考えの方は、9月8日(土)スタートの、合同会社5W1H流 「コーチング学習プログラム」へのご参加をお待ちしております♪

 

さて今回は、「教養醸成の会」(CGG)で用いたテキストの内容をきっかけに、「科学・技術分野のリテラシーが一般教養とみなされるようになってきているのでは?」「科学リテラシーを高めて、科学・技術に触れるようになっていくことで、どんな御利益が見込めそうか?」「多様化している顧客のニーズ/ウォンツに応えるには、個々人ならではの知識・経験・スキルなどを活かし、柔軟性や創造性を発揮することも大切では?」「確実性・信頼性を追求する分析思考と、妥当性・有効性を探求する仮説思考のバランスとは?」「硬直化した知識伝授型の研修ではなく、科学的アプローチを意識した研修やコーチングが重要なのでは?」といった考えについて紹介してまいりました。

 

あなたは、どのような印象をお持ちになり、何を考えられたでしょうか? 何か少しでもお役に立てれば幸いです。

それでは、また次回のニューズレターでお会いしましょう♪

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