人財と組織の育成を支援する「合同会社5W1H」のニューズレター

「納得できるように、物事を主体的に変えていく力」を持った人・組織こそが、「意義深い人生を送る能力」を持った人(から成る組織)であり、「贅沢さとは異なる豊かさを享受し、QOL(人生の質)向上を実現する能力」を持った人・組織である

鬼が金棒に振り回されていないか?;どの分野でビスポーク?(第110号)

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こんにちは、合同会社5W1H代表の高野潤一郎です。

2012年も最初の月が終わり、平常モードでお過ごしのことと思いますが、弊社ニューズレターとしては本号が今年初めての配信となります。2012年最初の月は、どのような取り組みに注力されたでしょうか?

現在東京に住んでいる私は、入院中の祖母が「正月3箇日辺りが山場ではないか」という連絡を受け、現在「記録的な大雪になる恐れ」とも言われている地域の実家に、元旦に帰省して参りました。その際に、「人が年齢を重ねるということがどういうことか」「家族とはどういうものか」「死に向かって日々どのようにして生きていくのか」...と、あれこれ考えたりしましたので、今回は、その一端をご紹介してみようと思います。

 

「成功」と「幸福」と「経営理念」

弊社ウェブサイトの「経営理念と価値観」では、弊社が何らかの判断や活動を行う際の基準として採用しているモノとして「納得」という言葉や、「喜び(現在の利益、感性)と意義(未来の利益、理性)の同時体験を積み重ねる」といった概念を紹介しています。そして、対象や場面の違いに応じて、「喜びなどの感情7分、意義などの理性3分」や、逆に「感情3分、理性7分」などと、その都度比率は変わるでしょうが、それでも「感情的かつ理性的に、(自分、関係者、後世の人などから見て)納得できる道はどれか?」という変わらない基準で判断を重ねていくよう心掛けています。

こうすると、衝動的に何かに飛びついて後悔することもありませんし、計算に基づいて冷徹に行動したためにお客様や取引先との関係がこじれるといったこともないので、何かと助かっています。

さらに、「感情的かつ理性的に、納得できる道はどれか?」という判断基準と、次にお示しした「幸福」と「成功」についての私の考え方とを組み合わせることによって、世間一般や他の方の判断と自分の判断にズレが生じたときに、それまで考えていたのとは「まったく異なる切り口の道を見つけやすくなる」といった効用をもたらしてくれていることに氣づきました。

  • 幸福」かどうかは、内的世界の主観的なプロセス評価
    …多様な背景・価値観などによって評価はバラバラ
  • 成功」かどうかは、外的世界の目的・目標達成の結果評価
    …(他者への伝達、他者との合意・共有が可能な)言語化・概念化された評価方法次第

そして、こういったアプローチは、仕事上の判断のみならず、自分自身の人生全般についても適用可能で有効なものだと、改めて思いました。

 

目的ある放棄

最近では、「クラウド」の次に注目されるものの1つとして、「ビッグ・データ」(大量のデータの分析・活用により、各種予測の精度・速度が飛躍的に高まり、企業や個人の利益につながると言われる)が身近になりつつあることからもわかるように、身の回りの情報・アクセス可能な情報の量が、個々人の情報処理能力を超えて、すさまじいまでに氾濫してきています(※1)。それに伴って、今後の情報社会を行きていくのに必要とされる「知識」や「スキル」なども、増加の一途をたどっているように感じています。

※1
「情報はどのくらい増えているのか?」「大量の情報を処理する能力は充分なのか?」などについては、第104号をご確認ください。そう言えば、2012年1月14日には、「日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖(68歳)が、コンピューターの将棋ソフト『ボンクラーズ』に敗北」といったニュースも流れましたね。

そして、経営学者・社会生態学者などとして高名なピーター・ドラッカーさんが、「やめるべきことの洗い出しは、やるべきことの決定と同じくらい重要だ」として「目的ある放棄」を薦めていらっしゃったのを思い出し、改めて、弊社の在り方などについて継続的に考えていこうと思うようになりました。

 

ビスポークで、手軽さよりも上質を重視する

では、少なくとも現状、弊社として「やらない」のは何か?

ここで1つだけ例を挙げるとすれば、それは、「有料のウェブ講演」(≠双方向のウェブ経由セミナーなど)です。やらない理由は、「有料のモノと無料のモノ」「良質なコンテンツを配信するウェブサイトの例」「著作者の権利の保護」「セミナーを配信する場合に考慮すべきだと思うこと」についての考えを披露させていただいた、第103号「ウェブ上でのセミナー依頼」を頂戴して考えたことで紹介した通りです。

出来上がったコンテンツを販売するe-learningなどでは、「企業が価値を生産し、お客様が価値を消費する」わけですが、弊社で提供してきている企業研修・コーチング・目的達成や問題解決のファシリテーション・人財育成コンサルティングでは、「企業とお客様が協働して価値を創出する」(…企業からの提案に対して、お客様が何らかの反応や役割を果たすことによって価値が生み出される)という形を取っており、ビジネス・モデルや価値の創出・交換についての考え方が異なっています。

不器用なのかもしれませんが、上記の「『成功』と『幸福』と『経営理念』」でお伝えしたような考え方を採用しているため、弊社では、「信頼性が高く、納得できるコンテンツやサービスを開発・提供すること」の方に関心を払ってきています。そして、低価格の手軽なツールをお探しのお客様は、他社のコンテンツやサービスを利用されるので良いと考えています。
…こうした切り口からすると、現状、弊社は「サービス・プロバイダー」であり、私の果たす主要な役割としては「質問をすること」を挙げることできるかもしれませんね。

このように、弊社は、「万人受けを狙っている訳ではない」ので、「時代の変遷や社会の変化に目を向け、お客様を尊重しつつも、自分・自社のスタイルは崩さない」という姿勢を保ちたいと思っています。[ また、私にとって「質問すること」は、仕事というよりも(少なくとも作業ではなくて)、存在意義とか使命とかといったモノに対応するのではないかと捉えている面があるように思います。]

万人受けを狙うと、提供するコンテンツやサービスの「最低基準」や「資格」といったモノに氣を回さなければならなくなりますが、弊社は、そういった低レベルの対応で消耗せず、「コンテンツやサービス、講師・コーチ・ファシリテーターの質をしっかりと見極めて仕事を依頼しようと考える方・組織向け」に、丁寧な対応を繰り返しつつ、着実に実力を高めていく道を選びたいと考えています。

より具体的なイメージとしては、「ビスポーク(※2)でのスーツ購入」を思い浮かべていただくのが、わかりやすいかもしれません。ネット上で既製品を選んで購入することも可能な時代に、「お客様が専門家と密なコミュニケーションを図り、自分の好みやこだわりに合った、自分だけの作品を創り上げる」というビスポークのアプローチは、非常に高い満足感・納得感・喜びなどをもたらしてくれるものとして知られています。何をするにもビスポークを選ぶというのは現実的でないかもしれませんが、自分(たち)にとって非常に大切だと考えている物事に絞って、充分な投資を行うことで、経済的便益のみならず、知的・情緒的な便益など、期待以上の成果が得られたという経験をお持ちの方は結構多いのではないでしょうか。

※2 ビスポーク
ビスポークとは、bespeakの過去・過去分詞であるbespokeやbespokenという英語のカタカナ表記で、「(服や靴などが)注文の」を意味し、「職人とお客様が対話をしながら創り上げた作品」を指す。お客様の要望に合わせた紳士服を仕立てるビスポーク・テーラー(注文服店)の略語などとしても用いられる。米語ではmade-to-order。反対語はready made(既製の)。

弊社は、○○業界のトップ・シェアを目指すだとか、コピーが容易な出来合いのコンテンツ(既製品)のラインナップを豊富にするとかという方向を目指すのではなくて、「大切なものは、手間暇をかけて大切に扱う」「お客様との協働により、価値を生み出す」というアナログかつ贅沢なビスポークのアプローチでこそ、真価を発揮する存在だと認知されるように努めていきたいと考えています。

<例えば、企業研修の場合>
出来合いの「底上げ研修」を探されているなら、手間暇をかけずに、よその「下請け業者」をお探しになるのが賢明だと思います。「経営者に大切に扱われている従業員こそが、心からお客様を大切に扱うことができる」「組織の再編成、人財の再配置、経営改革プロジェクト・チームの結成と、人財育成の動きを連動させたい」「職場での実例を取り上げるなど、実践的な研修を導入したい」「研修効果を浸透させるには、継続的なフォローアップを行うのが現実的だ」などと考え、人財育成に関して手間暇をかける際の「対等な立場で協働するプロフェッショナル」(講師・コーチ・ファシリテーター・コンサルタントなど)を探している、「研修などの内製化」を検討しているということであれば、是非、弊社の活用もご一考いただければ幸いです。

 

鬼が、金棒に振り回されていませんか?

上記では、やらないことの例を1つ挙げたので、今度は逆に、力を入れていこうと考えていることの例を1つ挙げておこうと思います。

まずは、「鬼に金棒」(ただでさえ勇猛な鬼に金棒を持たせる意から、強い上にもさらに強さが加わることのたとえ)という言葉・譬え(たとえ)を思い出してください。私がここで大切だと思うことは、「鬼が、金棒に振り回されているようではいけない」ということです。「鬼が、金棒に振り回されていませんか?」という質問を、「ツールを活用する人・組織(鬼)が、ツール(金棒)に振り回されていませんか?」と読み替えて考えてみてください。

「金棒のラインナップが優れている会社」や「自分に適しているかどうかは二の次にして、巷の評判が良い金棒」を探してばかりではないでしょうか?しっかりとしたツールならまだしも、「瞬間清涼剤」のような役目しか期待できない施策や、「目新しい」流行の研修・学びの機会だけを、次から次へと探し求め続けていませんか?

どこがおかしいのか、よく考えてみましょう。例えば、「日本一売れている英語学習教材」のような表現、よく見聞きされると思います。しかし、現状、多くの日本人の英語運用能力が低いままであると評価する人からすれば、その教材は、認知度が高くてよく売れてはいるけれども、実際には、大部分のお客様にとって、あまり役には立っていない教材であると見なせます。この見解について、あなたはどのようにお考えになるでしょうか?

私は、目的を達成するには、自分(自組織)に合った手段を用いることが大切であって、他者(他社)の情報に振り回され過ぎてはいけないと考えています、また同様に、各種「ランキング」や「診断ツール」の活用法についても、慎重に検討する必要があるのではないかと考えています。しっかりした優れた金棒を入手しても、金棒を使いこなせない鬼だったら、意味がないのではありませんか?逆に、身の回りにあるものを上手に使いこなすだけの柔軟な発想や適応能力を備えた鬼だったらどうでしょう?「弘法筆を択(えら)ばず」(文字を書くのが上手な人は筆のよしあしを問わない。本当の名人は道具のよしあしにかかわらず立派な仕事をする。)という言葉もありますが、金棒探しに終始するのではなく、「他社ではマネできない成果を上げる『鬼』を育成すること」も非常に大切なのではないでしょうか。

「金棒探し」で大切なこととして、あなたは、どのようなポイントを選ばれるでしょうか?

次に、別の譬えもご紹介しましょう。

 

宗三左文字(そうざさもんじ)を研ぎ上げる

「鬼に金棒」の話を書いていたら、「織田信長が、2尺6寸(約78.8cm)あった今川義元の太刀(※3、4)を、2尺1寸5分(約65.2cm)の刀に研ぎ上げさせ、自分の愛刀とした」という話を思い出しました。

※3 太刀と刀
一口に「日本刀」と言っても、刃渡りが2尺(60.6cm)以上で、馬に乗った状態で、片手で用いる「太刀」、2尺(60.6cm)以上で、陸地で、基本的に両手で用いる「刀」、1~2尺(30.3~60.6cm)の「脇差」、1尺(30.3cm)未満の「短刀」などといった区別があるようです。

※4 宗三左文字(そうざさもんじ)
1560年の桶狭間の戦いにおいて、今川義元を敗死させた織田信長が、戦利品として取得したのが上記の太刀であり、宗三左文字(義元左文字)という名で知られている。当初、この太刀は、畿内の三好宗三から甲斐の武田信虎武田信玄の父)に贈られ、武田信虎が今川氏との和睦を示すものとして娘(定恵院)を嫁がせる際に一緒に持たせ、婿となった今川義元が所有していた。本能寺の変の後、豊臣秀吉豊臣秀頼徳川家康徳川将軍家にて代々継承→天明(てんめい)の大火(1788年、京都で発生した史上最大規模の火災)後に再刃(さいば)→明治天皇が織田信長に建勲(たけいさお)の神号を贈って創建された建勲神社(織田信長の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる)に、徳川家から奉納され、現在では重要文化財となっている。

 

もしかしたら、織田信長には

  • いざという時に持ち主を守れるものが愛刀であり、容易に振れない太刀は愛刀としての実用性に欠ける
  • 刀剣の優劣は、その製法や刀工の工夫だけで決まるのではなく、持つ人の技量に合っているかどうかで決まる
  • 刀剣は、使用者の技量に合うように作らせるべきであって、使用者の技量に合わなければ名刀たりえない

などといった考えを持っていたのではないでしょうか。私は、「鬼に金棒」の話を書いていて、そのようにも思ったのですが、みなさんはどのような想像をされるでしょうか?

 

「ツール」と「技量」

前段までに、「鬼が、金棒に振り回されていませんか?」「宗三左文字を研ぎ上げる」という話をお伝えしてきました。これら2つの話を通してイメージしていただきたかったことは、「ツール探しに明け暮れるのではなく、ツールの使い手の『技量』の向上に目を向ける」「ツールは、使い手の『技量』に合わせて作る」ことの大切さでした。これらを踏まえて、弊社で今後も力を入れていこうと考えていることの1つとして、「『技量の向上』という側面を忘れずに、コンテンツやサービスを提供する」ことを挙げたいと思います。

前出のピーター・ドラッカーさんは、「経営者にとって喫緊の課題とは、従業員に学習の方法を教えることだ」と考えられました。上記の譬えになぞらえれば、

  • 「どんなツールでも使いこなすだけの柔軟な発想や、どんな環境の変化にも適応できる鬼」となれるよう、自分(たち)の「技量」を知り、それを高める方法を知ること
  • 実際に自分(たち)を鍛え、「技量」を高めておくこと

ということになるかと思います。

また、ツールに関しては、「いざという時に持ち主を守れるもの」を「普段使いの愛刀」とすべきであり、愛刀は「使用者の技量に合うように作らせる」べきという考えを持っています。(…道具集めから始めて、道具オタクで終わる方もいらっしゃると思いますが、私は、「道具は、役立ってナンボ」だと思っているわけです。)そして、弊社が提供するコンテンツ・サービスの基盤となっている「いざという時に頼れる、普段使いの愛刀」が、「フレームワーク質問力」という位置づけとなっています。

技量の向上

図1:技量の向上

「ツールと技量」に関していろいろ書こうかと思い、図も3つほど用意したのですが、思ったよりも長くなってきたようですし、読者の方から「いつも良質な情報をたくさん配信してくださってありがとうございます。(中略)あまりにいろいろ盛り込み過ぎると消化不良になるので、ニューズレターのメッセージは絞り込んでもらえる方が嬉しいと感じる時があります。(後略
)」というコメントも頂戴しておりましたので、今号では「技量の向上」という図だけの紹介に止めておくことにいたします。

図1については、ご覧いただければ私の考えをご理解いただけると思いますので、詳細解説は省略いたします。ただ1点、注意として、技量を上げるために「やみくもに場数を踏め」というアプローチでは、失敗体験ばかりを重ねることによって、学習意欲や自信を失ったりする方が増えるといった弊害もあり、あまり積極的に賛成はできないという立場を取っていることを、お伝えしておきたいと思います。(ご参考:第89号「漫然と経験を積む」ことと「体系的に経験を積む」こと)

今回は、年末年始に生死や人生について考える機会があったため、「成功」と「幸福」と「経営理念」についても改めて考えてみたということで話を始めました。弊社の在り方などについて考える際に、「目的ある放棄」という視点を採用し、「アナログかつ贅沢なビスポークのアプローチでこそ、真価を発揮する存在」で在り続けたいものだという方針についてご紹介しました。また、「鬼が、金棒に振り回されていませんか?」「宗三左文字を研ぎ上げる」という譬えの後に、「ツール」と「技量」に関する考え方として、「『技量の向上』という側面を忘れずに、コンテンツやサービスを提供する」という方針を紹介させていただきました。

  • 他者の基準で「失敗」だと見なされようが「成功」だと見なされようが、自分の基準で自分のスタイル・生き方に「納得」して人生を全うすることが大切だ!
  • トレンド」は「移ろいゆく傾向」を指すが、「スタイル」は「ブレない、自分だけのこだわり」を指している。トレンドに合わせた微修正を行いつつもスタイルは揺るがない会社でありたいものだ!

といった考え方について、あなたは、どのような印象をお持ちになり、何を感じられたでしょうか? 何か少しでもお役に立てれば幸いです。

 

P.S.
よりよく生きるための信念」、自分たちならではの「人財と組織の育成に関する信念」なしで、あれこれ手配し、スケジュールを「作業」で埋めていっても、それは、「砂地に柱を埋めるようなものでしかない」ように思います。「諸活動の礎(いしずえ)となる信念」を持ちたい、そういった信念を活かす形で「自分や組織をより望ましい状態にしていきたい」、作業に留まらず「自分や組織の技量を活かせる、意義深い仕事をしたい」とお考えのみなさまと、何かの機会にご一緒できることを楽しみにしております。

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